パリ、夏至、6月の光

夏至が好きだ。

関東の田舎で過ごした子供時代、18時を過ぎても外が明るい初夏は、近所の子供たちで、自分たちに残されたその日最後の”子供時間”。残り少ない数十分にまるで気づかないようなふりをして、やけに陽気に外を駆け回った。

夕暮れまでを過ごした夏の空、梅雨の隙間の程よく乾いた風と子供のさらりとした汗との相性はよく、あの空気、風を、驚くことに30年たった今でもまだ肌が記憶している。

夕暮れ時、斜めから射す複雑な光はなんとも妖しく刺すようでいて、しかし直視しようとするとふいに姿をひょいと消すような、あの矛盾した幻想的なひとときの時間、子供ながらに夢のように魅かれるものだった。

特別に時間をプレゼントされたような、数十分を得したような、なぜか胸がきゅう、となる記憶。

大人になるにつれ、いつからかあの初夏の光の数十分はだんだんと数分になり、会社勤めの帰り道は気づけばすでに街のネオンが輝く夜。梅雨の長雨をオフィスの窓から眺めながら過ごす日中にうんざりして、気づいたら猛暑に豪雨。今年は一度もあの光の時間がなかった…ということも増え、時々その光の存在を忘れてさえいた。

2015年の6月7日から1か月ほど仕事でパリに滞在した。

6月のフランスはそれが初めてだった。その時再会したのが、子供の頃に夏の夜の帳からふざけて逃げ回って捕まえようとしていた、あの光だった。

寒く灰色の空の冬の厳しさと引き換えに、パリは日が長い。

4月に入ると急に日が延びて8時近くまで明るく夏至の頃になると夜の10時まで日が落ちない。

言葉で聞いたことはあったが、実際に6月のパリを過ごすと、我ながら単純なことに人生観が変わってしまいそうな衝撃だった。5月や7月の滞在で知り得なかった、秘密のひと月があったのだった。

あの憧れつづけた幻想的なひとときの時間、光が、毎日数時間たっぷりあり、追いかける必要もない。そこでは小さな子供たちも8時過ぎても外で昼間のように遊んでいて、仕事帰りなのだろう父親と手をつないだ子供はローラーブレードに乗って楽しそうに家路へ向かい、バーでは大人たちがその日最初の1杯となるアペリティフを21時頃から始めていて…なんとも時間の感覚がうれしくゆがんでしまう。子供の頃に高揚したあの”特別“が毎日贈られるのだから。

昼間も光がパキッと花を照らす6月、一年で一番美しいパリは花の都。

ジューンブライドも本来は年間で6月が一番天気がよい地域で生まれた習慣だったとか。

パリを恋しく想うのは、あの6月の光の魔法を知ってしまったから、それがパリに本格的にはまったきっかけとなる出会いだったように思う。

ルーブル美術館、多分21時半過ぎ

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