ワインはいつも性善説

ソムリエにとって、この世においしくないワインは存在しない。

さて例として、イタリアの日光を存分に浴びて収穫された、酸味と甘みのとれた最高においしいトマトのペーストをもらったとする。

せっかくもらったこのトマトペースト、どう食べたら良いのかアイディアがない際には、「現地の人は昔から同じ土地で収穫したオリーブを絞った新鮮なオイルと隣町で作っているケイパーと岩塩だけでサッとトマトソースにする」とか「酸味と甘みのバランスが良いこのトマトペーストには、ぜひアンチョビで塩気とコクを足すと美味しい」など、このトマトペーストをすでにおいしく食べている実践方法を聞いて、自分も試してみたいと思うだろう。

前者は「現地で昔から食べられてきた方法」で、後者は「味のバランスから考えて間違いのない組み合わせ」である。

ワインの合わせ方に絶対的な正解はないのだが、前述の「現地で歴史的に組み合わせてきた伝統的マリアージュ(直訳すると「結婚」だが、ワイン用語では料理とワインとの組み合わせ、またその相性を言う)」と、ミネラルや味のバランスから考えた「組み合わせ方の鉄板」は存在する。

ワインもトマトソースに同じく、農産加工物なのだ。

ただ、恐らくワインを一般的にトマトソースより敷居高く感じさせているのは、その合わせ方次第でそのワインが活きる・良さが消される、というのもトマトソースよりも顕著ゆえ、またものによるが年代物などは今年収穫したぶどうで作り直せば同じワインができるものではなく、二度とやり直しが効かない、限りなく同じ味わいのワインは作れないという点だ。だからつい、ワインの知識人たちが、親切心の塊で、この一生に一度の機会のこのワインを最高においしく楽しんで欲しいゆえ、の愛すべきおせっかいが知識の強要に感じられるから…という理由があるかもしれない。

それはまた、逆説的にもなるが、もう人生で二度とは巡り合えないこの瞬間に味わう、このワインを最高においしくする食事の組み合わせについて、その道のプロのシェフとソムリエに最高のマリアージュを提案してもらう価値があるのだという結論もあるだろう。

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