フランス人の食物に対する生物的能力とビオ(オーガニック)食品

フランス人と一緒に食事をしていると気づくのが、彼らは自分が生き物として食物を判断する能力に絶対の自信を持っている人がどうも多い印象で、市販の商品にしても記載の賞味期限はあくまで参考とし、自身の判断で食物を判断して購入、消費することが生活の基本として身についているように思われる。こういう言い方をしてもしフランス人の方に不快に思われたら申し訳ないので先に謝っておくが、いや心から敬意をもって、食品に対しての動物的な勘が優れている人か多い、と感じるのである。

パリの一般的な価格のスーパーマーケットでは
こんな状態の果物が陳列に放置されていることもあり、買い物は正に自己責任…

だからビオ先進国であることにも理由がつくのだと思うのだが、自分が口にするものがどう生産されたのか、世界にどう影響を与えているのかにも大方こだわりが強いのが一般的な印象だ。他人がなんと言おうと見栄では財布を開かない彼らが、特別裕福ではなくても金額が倍するビオ製品を買うことは単純に素晴らしい、食文化の豊かさと食育の成果だと思う。

大量生産品に慣れてしまった現代日本人からすると、彼らが都度動物のように匂いをかいで食品を確かめるしぐさを少し動物的にも感じる一方、しかしビオ製品を購入する強い意志というサステナビリティに基づく概念、自身の健康を自分で責任を持って管理するという信念に先進的な洗練を感じる。

BIOスーパー どこでも商品は自分で手に取って確認して購入するのが基本

ちなみに食物にそんなにこだわりが強いのに、いわゆる高級百貨店で日常の食料品を購入するのは一部のブルジョワであって、一般市民は日本人以上に見栄を張らない、いや見栄という概念がほぼ意味がないように見受ける彼らの多くは、年収に応じて普段利用するスーパーマーケットを決めてことが多い。むしろ、そういった自覚さえもなくて、住居エリアのスーパーマーケットがそもそも所得に応じていて、そこから選んでいるだけなのかもしれない。

現に、私と同程度だろう一般的な所得の同年代の現地友人(女性)は、「エシレ」バターの売っているスーパーマーケットを利用しておらず、日本でエシレバターの人気について話した際に「ああ、知っているけれど食べたことない、ホテルが利用しているブランドのイメージ」という冷めた反応で、なぜ日本人が自身の所得の範囲を超えてまでそんなに高級店の一流食材に飛びつくのかが理解できない様子で、これはお互いにカルチャーショックであった。

ちなみに、現地ではエシレのバターであっても2ー3ユーロ程度、手が出ない金額では決してない。

まあバターに関しては、エシレブランドでなくてもどのバターでも十分においしい乳製品大国なので、ブランドものに手を出す必要性を感じないという理由もあるかもしれない。

ECHIRE(無塩バター)の他、パリの発酵バターさまざま

市内のボン・マルシェなどの高級百貨店で買い物をしている現地人は恐らく高所得者がほとんどで、その他は観光客で、日本や韓国などの東アジア人が多い印象である。

日本の東京で例えて検証すると、毎日三越伊勢丹で食料品・日用品に至るまで全ての買い物をしているのは、確かにそれに見合った高所得者だけになるのだろうが、来館客全体が完全に高所得者だけとは言えず、海外からの観光客の他にも、たまに贅沢をしに遠方から来る日本人も来店割合としてかなり多いだろうから、そういう日本とは感覚と事情が異なりそうだ。

色々なところでフランスかぶれをしたとしても、自分の所得からは多少無理をしてでもおいしいものを試してみたいという食へのミーハー心は引き続き失わずに挑戦をしたいと思った次第の日本人の自分であった。

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