ラ・セーヌと右岸、左岸

パリの街はルーヴル美術館のある1区から、カタツムリの渦のように時計回りに2区、3区…と20区まで区分されている。12区と13区の間からパリ市内に流れ込んだセーヌ川は4区と5区、1区と6区、8区と7区、最後に16区と15区の間を流れて、パリ市外へ流れていく。

Rive droite(リブ・ドロワ)が右岸地帯を意味し、Rive gauche(リブ・ゴーシュ)が、セーヌ川の左側を意味する。我々が見慣れたパリの地図でいうと上方に見える、シャンゼリゼ通りと凱旋門がある方がセーヌ川の右、エッフェル塔が建つ方が左ということになる。

リブ・ドロワ、リブ・ゴーシュは、川の左右という物理的なそのものの意味から名付けられたのだが、

パリでは右岸でお金を遣い、左岸で頭を使う

と言われていた名残で、右岸リブ・ドロワには金持ち文化のニュアンスがあり、左岸のリブ・ゴーシュは芸術や若者文化のエリアといった意味合いを今でも持っている。

リブ・ドロワに位置するはずのパリ最北部分の18区などは現在は、移民も特に多く各国の文化が混在した、異国情緒溢れるエネルギッシュなカルティエであり、金持ち文化からは真逆のエリアのため、リブ・ドロワはあくまで1区周辺の王宮、貴族、ブルジョワ文化のイメージを指している。

反対の左岸リブ・ゴーシュを象徴する一つとしてサンジェルマン・デ・プレ地区がまずあげられるが、ピカソや、哲学者サルトルやボーヴォワール、小説家のヘミングウェイやアルベール・カミュに詩人ランボー、また永遠に色褪せない歌手のエディット・ピアフといった正にフランスを代表する芸術家達のたまり場となったカフェLes Deux Magots(レ・ドゥ ・マゴ)や、CAFÉ DE FLORE(カフェ・ド・フロール)が今も変わらずそこにある。

住所は違って見えるが実質は道を挟んだほぼ隣同士に並んでいて、どちらのカフェも文化芸術雑誌を刊行してきており、現在もその名を冠した1933年創設のドゥ・マゴ賞(Prix des Deux Magots)、1994年度よりフロール文学賞(Prix de Flore)があることからも、それらは”文化人の集まる文化的カフェ”ではなく、フランスを代表する芸術・文学と切っても切り離せない、フランス文化を語る上での象徴的役割を今も自負する存在なのである。

Les Deux Magots(レ・ドゥ ・マゴ)📍6 Place Saint-Germain des Prés, 75006 Paris

CAFÉ DE FLORE(カフェ・ド・フロール)📍172 Boulevard Saint-Germain 75006 Paris

イヴ・サン=ローラン(Yves Saint-Laurent)が、自身のブランド名にRive gauche(リブ・ゴーシュ)を付けたのは、こういった左岸文化への敬意と、当時のオートクチュール・メゾンがブルジョワ層の顧客が住むシャンゼリゼ周辺に店舗を構えるのに対して、店舗の物理的な位置でも一線を画すブランド姿勢を表明する意味を含んでいたと言われている。イヴ・サン=ローラン以前の高級メゾンはオートクチュール全盛で、徐々にプレタポルテへと移行していった時代の転換期であったそうだ。

ちなみに、こういった左岸の老舗カフェにおいても、現代の右岸地帯の区が一様に“お金持ち的”でないのと同じ逆転現象はもちろんあり、例えばカフェ・ド・フロールでは、ハーフボトルのミネラルウォーターが6.80ユーロ(900円近く)。2名で金額を気にせず軽食を食べたら軽く1万は超えるという、実はパリの中でも価格においてはいまや”ブルジョワ”的なカフェなのが皮肉である。

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